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犬と海外旅行 チェスキークロムロフ

4時間ほどのドライブで国境を超えてチェコ共和国のチェスキークロムロフにやってきました。
チェコ共和国は大好きな国でこれで3度目になります。
チェスキークロムロフは2回目です。

チェスキークロムロフはチェコ南部、S字に蛇行するヴルタヴァ川に囲まれた中世の町並みをとどめるチェコで一番美しいといわれる町のひとつです。

中心にそびえるチェスキー・クルムロフ城はエゲンベルク家、シュワルツェンベルク家と城主が目まぐるしく変わり、創建当初のゴシック様式から、ルネサンス様式、バロック様式と増改築が重ねられ、さまざまな建築様式が混在するチェコではプラハ城に次ぐ規模の城郭となりました。1766年に完成したバロック様式のオペラ劇場、カラフルなフラデークの塔や外壁の「だまし絵」など、城内に見どころは多く、城の守り神として飼われている熊も伝説に彩られています。1992年に町ぐるみ世界遺産に登録されました。

思い出の場所

実はチェスキークロムロフに来た理由は、私が10年前にビンゴとアールをなくした事から始まります。
当時、私はひどく落ち込んでいて、何もかもが正しく機能しないでいました。
それでも生徒さんたちが支えてくれたおかげで何とか生きている感じでした。
レッスンも普通にして、特に変わらない生活をしていましたが、いつも何か足りない、何かがおかしいと感じながら過ごしていました。
それでこれは何かを変えないといけないと思い、この地に向かいました。
知り合いにも会わないし、古い街並みに自分を落とし込めば日々の生活から隔離され、何もかも変わるように思ったのです。
でもそれは違っていました。
いつもどこかでアールとビンゴの姿を探している自分に気がつきました。
それくらい私にとって大きな存在だったのです。

新しい子を迎えよう

そして決断しました。新しい子を迎えようと、、、、
そしてウノがやってきたのです。
私のいわゆるペットロス(ちょっと違うのだけど)は3年続きました。
その後、ウノとの生活が始まり忙しい日々の中で少しづつアールとビンゴの事は私の心の中で居場所を見つけて行きました。
ただ、私はウノとチェスキークロムロフに来たかった。
そして、あの時の自分に、自分の悲しみにピリオドを打ちたかった。
今の自分とウノの姿をあの時の自分に伝えたかったのです。

あの時のホテル、公園

私のウノはあの時泊まったホテルとその近くにある公園に向かいました。
もうずいぶんたっているのに案外覚えているもので地図もなくても歩けます。
歩きながらあの時のことを思い出すと何とも懐かしい気分、まるで子供の頃に戻ったような気持ちになります。
インスタにもその時の様子をアップしていますので詳しくは記しませんが、私のピリオドはひとまず打つ事ができました。
犬をなくすというのは本当に辛くて、苦しくて、痛みのある事です。
できれば早く次の子を迎えてしまった方がいいのですが、それができないくらいの場合もあるのです。

石畳とウノ

チェスキークロムロフは石畳の街です。
以前はバスでここに来てスーツケースをガタガタと引いた記憶があるので、今回は駐車場から10分くらいのホテルまでの道を身軽な状態で歩きました。
それを除けば石畳は最高に美しいです。
ウノは石畳をこんなに歩く事は当然ですが初めての経験です。
ちゃんと歩けるのかなぁと思っていたのはいらぬ心配!私よりちゃんと歩きます。
街歩きはほんと楽しくて、リードなくても平気ですし、ウノはリード付きの犬よりコントロールができている事をここに来てはっきり認識できました。
日本だとこうした経験ができないので、リードが付いていても吠えついてくる犬やリードを引いて人間の散歩をしている犬、あるいはフレキシブルリードを伸ばしたまま飛んでくる犬などがどれほど危険かを伝える術がありません。
ヨーロッパの犬たちにもコントロールの効かない犬もいますが、それらは社会が許さないのでリードを短くして犬や人とは触れ合わないようにしています。
一方でコントロールの効いている犬はリードもつけずに歩いているのです。
それは法律ではなく社会の構図なのですね。

犬の帰巣能力

チェスキークロムロフは2泊でしたが、ウノはホテルの場所を覚えてしまいました。
街歩きを終えてホテルへ戻る時、ウノはトコトコと自分から角を曲がりホテルの前のドア(いわゆるホテルではなくアパート)の前で止まって私を待っています。
これにはびっくりしました。
これもまた日本では経験できない事でした。

さあ次はオーストリアのウィーンに向かいます。
運転もすっかり慣れて、途中のアウトバーンでは210キロ、、、、いやいや安全運転でまいりましょう。


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