争わない清さ
新年もはやくも20日ですねぇ
私は4年前、犬のいない生活をしていました。
それも3年間も・・・
あの時の自分はほとんど抜け殻だったように思いますが、それでも前を向いてがんばっていた自分がいました。
なにもかもが犬たちのためにあったあの時の私・・・・
まぁ今も大して変わらないのですが、でもここに相棒のウノがいることはなにより大きな変化であり、大切な存在です。
私は知らない人からよく声をかけられます。
とくにウノと歩いているとそれは多くあります。
私は特別に魅力がある人間ではありませんが、やはりそこにウノがいるからなのだと思います。
ウノは相手がだれであろうといつも笑顔で接します。
私はあの姿を見るたびに、犬というのはなんの差別もしない、偏見もない、なんて純粋な存在なんだろうと・・・・
それに比べて私たち人間はいつも偏見に満ちた眼差しで物事を見ているように思います。
世界中ではいつもどこかで人が人を傷つけている
アメリカの同時多発テロで世界的に知られているビン=ラディンなどが関わっているアフガニスタン紛争は今もなお続いている
シリアではイスラム国が勢力を拡大する目的で介入し、アサド政権政府軍、反政府軍、イスラム国という三つ巴の戦いとなり、内戦を泥沼化し、アメリカやロシアの介入は是非を超えて今も町が焼かれている
クルド・トルコ紛争やイエメンやリビアでは内戦が日常化している。
さらには日本の隣国ではたくさんのロケットが打ち上げられてその脅威ははかりしれない・・・・
戦いは人を傷つけるということがわかっていてもやめられない人間の愚かさ
- 宗教
- 土地・資源・金銭の奪い合い
- 権力
- 文化・民族の拒絶
- 政治的な拒絶
- 様々な差別
私は犬と暮らしていると彼らの中にそれらのほとんどがないことに気がつく
犬たちも争いはするが、それはこれらとは異なる
彼らはどちらが正しいとか間違っているとかではなく、エナジーの出方に違和感を感じたり、一方的になりすぎている時にそれを鎮めるために力を発揮する
ウノをみているとそれをとてもよく感じる。
もちろんどの犬もこうしたことができるわけではなく、社会性と経験と人とのリレーションシップ、あるいは場やものに対する寛容性などが影響している。
そのため街を歩いていると一方的に攻撃的に吠え付かれたり、唸られたり、噛まれたりすることがある。
しかし、私とウノはそれを受け入れないし、返さない。
それは決してそれによって平和的な解決にならないとわかっているからだ。
仮に犬がそれで理解を示したとしても、その飼い主は理解を示さないことがおおい。
仮にウノが攻撃的なチワワに大して反撃したとすれば、飼い主は激高するだろう
そして大きな犬に襲われたと言いふらすだろう
それはさらに話を拡大、歪曲され伝えられ、私のしらないどこかで、あそこのプロの犬が犬を噛んだとか、発展しているだろう
私とウノとそして平和を愛するみなさんといつも笑顔で暮らしたいと思っています。
それでも向こうから強引にその中に入り込んでくることがあります。
ディスク大会でも意味のわからない自分勝手な理由をつけて戦いを挑んでくるものもいます。
できることなら私たちの人生の中に入り込まないでほしいのですが、それができないのが世の中です。
そんな時、私はウノを見るのです
彼はいつも純粋な眼差しで私を見ています。
この子のために私ができことはなんだろう・・・・
この笑顔を絶やさない方法はなんだろう・・・・
4年前、私には真の笑顔がなかった
今はウノによって心から笑顔になれる
私の今年のテーマは
- チャレンジ
- チェンジ
- チャンス
と新年に記しました。
そこに付け加えたい・・・
- スマイル
- ピース
- ラブ
陳腐な言葉かもしれませんが、永遠のテーマでもあります。