犬と遊ぶの続き
前回にはブルースリーの言葉を借りてドッグトレーニングについて偉そうに語りました。
語りついでにもうすこし深みに入っていこうと思います。
で、すこしおさらい
燃えよドラゴンの映画のワンシーン、ブルー・スリーの言葉ですが、私はこの言葉の意味をずっと追い続けています
まっ、結局のところ人間の知恵なんてものは犬の本能にはかなわないってことなんですけどね。
ただそのまんまじゃなにもかわらないわけで、やはりそこは人間の賢さを使わないといけないわけです。
ブルースリーの映画、燃えよドラゴンの中で彼はこうも言っています。
“We need emotional content. “
このシーン、まず初めに
ブルース・リーは修行中の若者に「私を蹴ってみなさい」と言います。
修行中の若者は師匠に対して本気でやっていいのかわからず遠慮ぎみに上段蹴りを繰り出してみせると、
「なんだ今のは。それが本気なのか?我々に必要なのは感情にまつわるものだ」
“What was that. An exhibition? We need emotional content. “
と強い眼差しで伝えます・・・・私はもうこの場面を何度となく繰り返し見ては感動しています。
つまり、ブルース・リーは、ただ力任せや、形だけで蹴るのではなく、感情をこめて蹴りを出せ、と言っているのです。
私がlessonでお伝えしている中心にはいつもこれがあります。
アウラのすっごくわかりにくいホームページを探すと、アウラメソッドとして
という言葉を探すことができます。
ちょっと小難しく書いていますが、それを読むよりもこの映画をみたほうがよっぽどわかりやすい。
人間も犬も、生きるもの全てが様々な感情を持っています。
その感情は外から受ける刺激によって変化します。
外からの力は時に強く、ときに弱々しく、あるいは突如として激しくなったり、小さくなったり・・・・
刺激は時に動きであり、音であり、時間であり距離でもあります。
私たちはそれを全て予測することも、管理することも不可能です。
できることは唯一、自分の感情のコントロールなのです。
そして、感情をコントロールすることで相手、つまりドッグトレーニングでは自分の犬ですね、
犬の感情面に入り込んで接点を持つことが大切なのです。
感情と感情のコンタクトに勝るものはない
ではどんな感情?
喜怒哀楽、様々な感情を持つ私たちと犬の感情はおなじなのでしょうか?
じつは同じ面とそうでない面があるのですが、基本的には繋がることができます。
強制的な訓練方法では「怒」と「力」でパワーバランス、つまり上下関係を作ってコントロールします。
上手な人と打たれ強い訓練性能の高い犬はこれですばらしい訓練犬に作り上げることができます。
私はこれをダークサイドと呼んでいますが、ダークサイドの力を一度知ってしまうと、その魅力から逃れることは難しい・・・それくらい「怒」と「力」の世界は強靭なのです。
・・・・スターウォーズの話はまた今度・・・・ヨーダは私の師匠です・・・
私は主に「喜」「楽」と「愛」で精神面で関係を作って行動をコントロールします。
「愛」というのは一言では言い表しにくいのでまた今度ですが、「喜」「楽」というのはわかりやすいですよね。
アウラでlessonをうけた方ならすぐわかるでしょう。
犬たちはいつも笑顔で満ち足りています。
ブルース・リーは、映画の中で相手の心に触れることの意味を学べと語っているのです
私もまた、レッスンでは犬の心に触れることの意味をお伝えしたいと思っています。
もちろんそんなことばかりではなく、技術的なことや科学的なこともふくめてお伝えしていますが、それだけでは豊かな関わりにはなりにくいのです。
あなたは犬の心を知っていますか? あなたの犬はあなたの心を知っていますか?
ブルース・リーと若者のシーンは続きます
若者は感情を込めた蹴りを披露します。
しかし、ブルース・リーは
「私はあくまで感情にまつわると言ったんだ。怒れとは言っていないだろう。もう一度だ。やってみよう私とともに」
“I said, emotional content, not anger. Now try again. With me. “
諭された若者は、”私とともに”に気がつきました。そして自分の怒りの感情を込めろという意味ではなかったのだと理解。
今度は、力むことなく、しなやかな蹴りを放ちます。
犬とのトレーニングでも同じことが言えます。
もう一度だ。やってみよう私とともに・・・・Now try again. With me.
そう、犬だけでも人間だけでもなく、一緒にやってみること、一緒に感じ取ることが大切なのです。
例をあげると、
うちの犬はなんでも持ってこいできます・・・
じゃあやってみてというと
人は座ったまま、あるいは立ったまま何かを投げます。
犬はそれを拾いに行きます。
戻っては来るけど離さない・・・しかたがないのでトリーツを出して放させる・・・・
ここに感情はありませんね。単なるバーター、つまり力の関係しかありません。
たしかに何かを持ってくる作業はしていますが、そこには「喜」「楽」「愛」よりも作業上のエネルギーの放出しか感じません。ブルー・スリーの映画の若者が最初に出した蹴りと同じです。
蹴ってはいるけど感情がない
持っては来るけど感情がない
同じです。
ブルース・リーと若者のシーンは続きます
感情のこもった蹴りを見せた若者に、柔らかな表情で
「よし。君自身にとって、どんな感覚だった?」
“That’ it. How did it feel to you? “
若者は
「ええっと、考えるには・・・」
“Let me think…”
と考える様子。
ブルース・リーは再び
「考えるな、感じろ」
“Don’t think, Feel. “
と・・・・
私もよく言いますね。
続きはまた今度