科学的とは都合のいい言葉だ
曇り空ですねぇ
怒涛の週末が終わり、今日はウノの狂犬病ワクチンの接種と血液検査にいってきます。
たまっているメールも返信しなくちゃいけないし、101キャンプの事務仕事もあるし、ファンマッチの事務仕事もあるし、車の保険の見直しもしなくちゃいけないし、もうなんかやることだらけです。
そんな中、奈良県からレッスンの依頼がありました。
はてさてどうしたものか?
これまでも名古屋や静岡、長野、千葉、埼玉、群馬と遠方からのレッスンをたくさんお受けしてきました。
ワンポイントレッスンだと北海道からの方もいらっしゃいました。
ですから遠方であることはそれほど問題ではありません。
しかしこの方の場合、問題行動に対するレッスンですので、しっかりとしたスクリーニングとプロセスを作り、継続的なレッスンが必要となります。
ダンスやディスクドッグ、基礎レッスンであればなんてことありませんが、なやましいところです。
とはいえ、もし定期的なレッスンが可能であれば全力で取り組む気持ちでいっぱいです。必要であればお伺いしてでもという思いです。
これからじっくりご返信させていただこうと思います。
今日の新聞にこんな記事がありました。
東京電力福島第一原発の汚染水浄化後の処理水の処分方法、現在の敷地内タンクの処理水は100万トンを超えたが、溶け落ちた燃料デブリが取り出せない限り年間5〜8万トンの汚染水発生が続く。
一方でタンク容量は4〜5年後で限界に達する。
それに対して有識者、原子力規制委員会は一貫して「科学的、技術的には希釈して海洋放出しても人や環境への影響はほとんどない」と発言している。
「科学的、技術的」・・・・いつもこの言葉に私たちはうまくかわされていないだろうか?
「科学的」とはどういうことだろうか?
「科学は物事の起こる理由を説明するもの」だが、これは間違いではないものの、その実態を正確に説明しているとは言い難い。
なぜなら、科学には反証性があるからです。(検証されようとしている仮説が実験や観察によって反証される可能性があることを意味する)
つまり
「どのような手段によっても間違っている事を示す方法が無い仮説は科学ではない」のです。
原子力規制委員会の説明には科学という言葉を使う「科学的」には、間違っている可能性があるからこそ科学的ということなのです。
よって、希釈して海洋放出して人や環境に影響が出た場合にも、それは科学的に反証されたこととなり、科学的には正しかったという話にしかならないのです。
科学というのはつねに今示されている答えを覆すことのできる技術なのです。
また、そうした技術というのはつねに一定ではありませんから、将来においてその技術が使いつつづけられるということはむしろ考えにくいわけです。
つまり、原子力規制委員会の説明というのは昨日今日のことを担保することはできても1年先のことは予測さえできませんといっているのとほとんど同じなのです。
そんなことを容認していたらどうなるか・・・・
絶滅の危機に瀕している世界の野生生物のリスト「レッドリスト」には現在、約2万6千種もの野生生物が名を連ねています。
もうまもなくヒエラルキーの頂点に立っている人類がそのリストに加えられる可能性が科学的にも技術的にも言えるということです。
子供たちに未来を!そのためにも野生生物に未来を!ならば流すな処理水!
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