犬との約束
私たち人間は子供の頃から何かしらのルールに則って生活をするように学んできました。
それは幼稚園の砂場での砂遊びにはじまり、椅子に座って先生の話を聞くことや、給食の配膳や掃除など
大半の社会ルールの基本は幼児期に学んでいます。
だから、私たちは大人になった今、その時の拡大版のルールに則って生活していくことができます。
例えば交通ルールは単に標識によって保たれているのではありません。
横断歩道を渡ろうとしている人がいれば止まるでしょうし、スペースがあって安全であればそうでなくても一時停止するでしょう。
子供が歩いていれば標識がなくても徐行するでしょう。
それらは「おもいやりという名の約束」と言えるかもしれません。
私は犬たちにもそんな約束、ルールを伝えていきたいと思っています。
とくに子犬時代はそれを学ぶのに適した時期です。
ルーデンスクラスでは社会化のひとつとしておもいやりを伝えていきます。
自分本位にならないために
資本主義化した人間社会はお金で大半が動きます。
私はそれにはあまり価値を感じませんのでお金では動きません。
もちろんお金がなければ生きていけませんのでお金は必要ですし大切です。
しかしながら、お金を払ったから、こちらの言い分を全部聞いて!
というような一方通行の考え方は好きではありません。
とくに犬のことに関しては、命というもっとも大きくて大切な価値ですから、お金や物と交換することはできません。
先日、そうしたことをしている方との会話がありました。
とてもショッキングなバーター(物々交換)によって犬を手に入れたのです。
そういう方のレッスンは基本的にお断りするのですが、あまりに悲しくて苦しくなりました。
そして、いったいこの方は幼少期にどんな教育を受けてきたのだろうか?と疑問を感じました。
欲しいものがあればどんな手を使ってでも手に入れる・・・・
私にはない価値観です。
「貧しい人とは、『少ししかモノを持っていない人』ではなく、
『もっともっと』と、いくらあっても満足しない人の事だ。」
私の敬愛するウルグアイ 第40代大統領 ホセ・ムヒカ氏の言葉です。
さら言葉は続きます。
「本当に貧しい人は、贅沢な暮らしを保つためだけに、働く人だ。」
日本の首相はよく口にする「新しい資本主義」ってなんなのでしょうか?
もしかすると日本という国は物質的な豊かさを追うがあまり精神的な豊かさを失ってはいないだろうか?
そういう私自身も物質に頼る生活をしているし、Amazonや楽天での購入履歴を見て、なんでこんなに買っているんだろうか?
と悲しくなることがあります。
私は幼少期にいったいどんな教育を受けてきたのだろうか?
ショッキングなバーターはしていないが、どこかで間違った道を歩んでいたり、歩もうとしていないだろうか?
そして私はウノを想うのです。
ウノ、君にとって大切なものはなんですか?
きっと彼は答えるでしょう。
それは
あなたと一緒にいる時間
あなたと遊ぶ時間、学ぶ時間
あなたが作ってくれるごはん
あなたのそばで寝ていられること
あなたと共に1日が始まること
私はやっぱり犬によって支えられ、学ばされているのだと改めて想うのです。
先に、「ルーデンスクラスでは社会化のひとつとしておもいやりを伝えていきます。」
と記しましたが、とんでもない欺瞞ですね。
私は犬を通しておもいやりを学んでいるのかもしれません。