犬の存在価値
タイトルが堅くってピンと来ませんが、ようは犬たちの生きる喜びや楽しみってなんだろうというお話を少しだけしたいなぁと思います。
ちょうど今、コーイケルホンディエのさらちゃんがルーデンスに来ています。
その前はラブラドール、日本スピッツ、ジャックラッセルテリア、柴犬等々、いろんなタイプのパピーたちが来ていました。
ルーデンスではトレーニングというよりも、マナーや躾、コミュニケーションについて伝えています。
それらは犬同士でのことはもちろん、人との関わりにおいて意味をなします。
とくに飼い主さんとの関わりは重要ですが、より広い社会での人とのつながりを円滑にすることが大切だと思っています。
人の喜びと犬の喜び
先日のこと、ウノとさらちゃんを大きな駅に連れて行きました。
たくさんの人、音、動き、におい、、、、社会の縮図のひとつが大きな駅にはあります。
私はよく犬達をこうした場所に連れ出します。
そしてじゃまにならない柱の前などでしずかに留まります。
ウノは基本的に伏せたまま(ブレークしてリラックスした状態の伏せです)私の足元にいます。
若いさらちゃんもリードの長さをすこし短くして足下にいます。
この日はここに2時間以上いました。
そうするとおどろくほどたくさんの人たちが声をかけ、留まり、触り、お話をしていかれます。
人のタイプもさまざまです。
男性も女性も、スーツ姿の人も、若いカップルもご年配の方も、障害のある方も、ありとあらゆる人々がウノとさらちゃんに目を細め触れ合います。
この日はちょうど子供達の帰宅時間と重なっていたので、そのお迎えのお母さんや子供達がたくさんさわっていきました。
人の人生の中に生きる犬たち
こうした中で私は人々からいろんなお話をお聞きしたりお話をします。
一番多いのはやはり、以前犬と暮らしていたが亡くしてしまい・・・・という話です。
とても暗い話に思われますが、そんなことはなくて、むしろウノやさらちゃんを通して感情は高まって行きます。
この日はまだ若い女性ですが15歳でなくなった子のことについてお話をしてくださいました。
一緒に触っていらしたまったく知らない方達がその会話に混じり出します。
若い女性はその方達からはげまされます。ウノとさらちゃんはそれに応えるかのようにその女性の手元に入って行きます。
ある方は子供のお迎えにきていて、子供がなかなか帰ってこないので30分以上も会話をしました。
その方自身は保護犬と暮らされているそうで、その子のことをたくさんお聞きしました。そしてボーダーコリーなのに穏やかなウノに触り続けています。そうしているとさらちゃんもそこに入っていくから不思議です。
ようやく帰ってきた子供達がまた話に加わります。二人三人と子供達が入ってきます。
はじめは子供達におそるおそるだったさらちゃんも、一人の女の子の上手なアシストでどんどん馴染んでいきます。
その女の子は犬と暮らしているわけではなく、欲しいけれど今の自分の生活だと犬がかわいそうだから無理なの、と言います。
まだ小学生なのによくできた子です。
そのうちさらちゃんも調子がでてきてその女の子と遊ぼうとし始めます。あまり大きな輪になると迷惑になるのでそこでブレークするのですが、女の子はもっともっと遊びたそうにしています。
きっといつかこの女の子の人生の中でさらちゃんやウノとの短い時間が大きな意味を持ち始めるのだろうと想像します。
一期一会という言葉があります。袖ふれあうも多生の縁という言葉があります。
もしかするとこうした機会はずっとずっと以前から用意されていたのかもしれません。
人であれ犬であれ、現生であれなんであれ、こうして2万年近くもの間、犬は人によって、人は犬によって生かされているのかもしれません。
私はそういう橋渡しができることに幸せを感じるのです。