オリパラについて
お休みで〜す。
いただいておりますメールの返信は明日以降となりますのでよろしくお願いします。
通常も1日1回の確認しかできませんが・・・・
さて、今日はオリパラについて少し個人的な話を少しだけ
私はオリパラ開催は賛成です。
しかしこの夏の開催はいかがなものでしょうか?
選手のためのオリパラとアスリートファーストを掲げた東京五輪
はたしてそうなっているのでしょうか?
営利、利潤、個人の椅子・・・・いろんなものが表に出ているにもかかわらず、そうではないと言い切るのは昔読んだ裸の王様を思い出させます。
色々な議論がなされていますが私は違う視点でこの騒動を見守っています。
それは
もしオリパラ開催中に、選手のだれか一人が感染したとしたらどうでしょうか・・・・いや著名な選手でなくても関係者の誰か、清掃員でも販売員でも・・・
その会場が競技場であったならどうなるのだろうか
その会場の利用はできるのだろうか
それが決勝戦にかかったとしたらどうなるのだろうか
感染した選手が予選1位だったらどうなるのだろうか
もちろん順位も記録も記憶も大きく変わってしまう。
それどころか会期は大きくずれ込んでしまうだろう。
その際に観客をいれているとすればどうなるのだろうか・・・チケットは・・・会場の費用は・・・選手のスケジュールやボランティアのスケジュールは・・・
しかしもっとも大きな問題はそこではない
感染したことで自身が参加できなくなった選手のメンタル
参加できないばかりか多大なる迷惑と損害が生じたことによる責任論が勃発したとすれば選手は国に帰れるのだろうか・・・・
もっと言えば、そもそもがオリパラにはコロナの蔓延で参加が難しい国や地域もたくさんある。
平等と平和の上にある祭典オリンピック
オリンピック憲章の
第一番に書かれている言葉
オリンピズムの根本原則
1. オリンピズムは肉体と意志と精神のすべての資質を高め、 バランスよく結合させる生き方の哲学である。 オリンピズムはスポーツを文化、 教育と融合させ、 生き方の創造を探求するもの である。 その生き方は努力する喜び、 良い模範であることの教育的価値、 社会的な責任、 さらに普遍的で根本的な倫理規範の尊重を基盤とする。
今一度、この言葉の意味を問うべきではないだろうか
私の憂いが現実にならないことを祈るばかりだ
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