セレンディピティ
どんよりお天気ですねぇ
湿度がありますが涼しいのが嬉しいです。
昨日の夕方、オビディエンスとディスクのレッスンに出かけました。
そこで犬の頭突きを不用意にもらってしまい目を負傷してしまいました。
その時はすごい衝撃と痛みでしたがしばらくすると落ち着いたので大丈夫かと思っていたら帰宅するあたりからどんどん腫れ上がってきてボクサーが殴られたような状態になってしまいました。
これはまずいと冷やしてはやく寝ました。
なんとか腫れも引きましたがまだすこし痛々しい感があります。
ちょっとあぶない雰囲気がありますがご心配なくです。
先にお伝えしておかないとねぇ
さて、うーたんとのダンス練習
ぼちぼちやっています。
まだひとつひとつの要素の完成度をあげる練習ばかりですがとっても楽しい♬
先日できたはずのケンケンが昨日はいまひとつだったり、ツースタンド(2本足で立つ)の遠隔後ろ向きが不安定だったり、ポジションのチェンジを勝手にやっていたりとどれひとつ演技にいれられるものがありません。
この不安定感を払拭したいのですが私のスキルが低いので正しく伝えきれていないと感じます。
もっと簡単に伝える方法はないものかと思う反面、こうした試行錯誤には数えきれないおまけがついてきます。
みなさんはセレンディピティという言葉をご存知ですか
この言葉、ウノが女の子だったらこの名前になっていたかもしれません。
セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ること・・・
私たちはいつも最短のルートを探します。
もっとも良くて、もっとも価値があって、もっともはやくて、もっとも・・・・
でもそれが本当に幸せにつながっているのでしょうか?
どんなに求めてもいつもどこかで喉の渇きを感じ心が枯渇している自分に出会うことはありませんか?
そういう私にもそういう渇きはあります。
でも犬たちと向き合っている時はいつだって潤っている。
犬たちには人間のような合理的な価値はあまりみあたらない
生産性がないのではなく、とてもシンプルでストレートな感情と行動の中に生きるための生産性を見出しています。
ところが人と暮らすと、それ以外の本来は必要としない価値観や行動を付け加えられます。
ドッグダンスなんてまさにその一つです。
犬にダンスを踊るという概念はないし、音楽を理解することはありません。これはワルツだね、タンゴだね、ルックンロールかぁ・・・リリックな雰囲気がいいねぇなんて風には感じません。
トリックに対しても、なんでこんなことするんだろうくらいにしか思わないし、構成していくにあたっても台本のように紙に書いたものを読んで理解するわけではありません。
だからこそ
だからこそ
私はいつもどの犬たちにも無理にコマンドを教えません。
まず気づき、ひらめき、喜びがあること・・・・そして「じつはね、この行動には名前がついているんだよ・・・・」となります。
だからその言葉には明確に感情が結びついている。
で、そうやって練習しているうちにたくさんの気づき・・・・つまりおまけが見つかります。
呼び戻しの練習?フセの練習?スピン、アラウンド、スルー・・・・それはそれでしかないでしょ
だけど私の伝え方にはそれ以外のほうがたくさんあるのです。
・・・・伝えようとしていたことには別の価値があるものを偶然見つけること。
この時の幸せといったら・・・・言葉にはならないほどです。
オビディエンスでもダンスでもディスクでも日常のレッスンでも散歩でも、どんな時にでもそんな偶然は見つけることができます。
ほんの少しだけ自分の心の扉の開け方を変えてみればきっとみつかるはずです。
enjoy!
にほんブログ村